言い換え
コミュニケーションの究極の目的は、相手に自分を理解してもらうことである。相手を理解するには、その言葉に耳を傾けなければならない。しかし、話を聞いたからといって、相手を理解したことにはならない。理解したことを相手に証明するには、その理解を具体的に示さなければならない。そして理解を示すためには、相手の発言を自分の言葉で言い換えるべきである。
相手が何かを話した後の返答として、「おっしゃることは分かります」というフレーズが安易に使われがちである。しかしこれでは、相手を理解したというメッセージは全く伝わらず、むしろ聞き流しているかのような印象を与えてしまう。それどころか、「分かります」という返答は、相手の話に関心がなく、自分がもっと興味のある別の話題に移りたがっていると受け取られかねない。相手に「自分はあなたの話を理解した」と証明することが目的ならば、「おっしゃることは分かります」という表現は絶対に避けるべきである。
相手の言葉を言い換えようとする場合でも、「つまり、あなたが言いたいのは……」と切り出す過ちを犯す人が多い。しかしこれは、無礼で傲慢、かつ相手を見下したような態度に映るおそれがある。この切り出し方は、話し手が要点を簡潔に表現できなかったため、自分が代わりにまとめてやっているかのようなニュアンスを与えてしまうからである。これは相手の発言を言い換えるアプローチとしては稚拙であるにもかかわらず、ニュース番組やトークショーのインタビューで短いコメント(サウンドバイト)を切り取るためによく用いられている手法である。
例えば、専門家が複雑な現象を説明するために緻密な論理を展開した際、インタビュアーが「つまり、気候変動に関する我々の知識は基本的にすべて間違っている、ということですね」などと返すことがある。これはメディア向けの短い発言としては効果的かもしれないが、発言の真の言い換えではない。相手を理解したことを示すためのものではなく、視聴者を楽しませるための極端な単純化に過ぎない。原則として、相手の言葉を言い換える際に「つまり、あなたが言いたいのは……」という表現から始めるべきではない。
これから相手の発言を言い換えて確認することを示すには、率直にこう切り出すのが優れた方法である。「私が理解した内容をお伝えしますので、もし認識に誤りがあればご指摘いただけますでしょうか」。これが、「あなたが仰ったことで覚えている内容を復唱します」と言うのとは大きく異なる点に留意されたい。後者は相手の言葉を自分の言葉で言い換えているのではなく、単に記憶からオウム返しに繰り返しているだけに過ぎない。
新製品戦略に関する長時間のプレゼンテーションが行われる会議を想定してみよう。発表の終わりに、登壇者が「何か質問はありますか?」と尋ねる。直ちに質問を投げかける代わりに、まず自分が発表内容を理解していることを登壇者に示すという選択肢がある。そうすることで、相手がこちらの質問に対してよりオープンに耳を傾ける土壌を作ることができる。
質疑応答の際、次のようにアプローチできる。「質問に入る前に、私の理解が正しいかどうか確認させてください。もし誤りがあればご指摘をお願いします。今回の新製品戦略は、優先順位を新規顧客獲得から顧客維持へと転換し、カスタマーサクセスへリソースを投じることで顧客生涯価値の向上を目指す、という理解で相違ないでしょうか?」。言い換えが的確であれば、発表者は「はい、その通りです」といった肯定の反応を返すはずである。
相手から「完全に理解されている」という同意を引き出すことは、コミュニケーションにおける最も強力な武器の一つである。しかし、極めて高い集中力を維持し、注意深く傾聴し、さらに相手の発言をリアルタイムで処理・単純化しなければならないため、実際のビジネス現場で実践するのは決して容易ではない。
認知的には、これは脳に多大な負荷をかける。そのため、長時間のプレゼン後、その要点をたった一言で言い換えるためだけに注いだエネルギーによって疲労困憊したとしても驚くには当たらない。この要する労力の大きさに加え、自分の言い換えが――少なくとも最初の段階では――誤っていたり、不正確であったり、不完全であったりするリスクに自らを晒すことになる点こそが、この手法がめったに実践されない理由の一つである。
しかし、この手法を用いるメリットは計り知れない。第一に、相手の発言を的確に言い換えることで、「自分の話を聞いてくれた」と相手に確信させることができ、それだけで話し手からの好意と信頼を獲得できる。第二に、単に聞くだけでなく、理解する認知的知性を備えていることを実証できる。第三に、同意するかどうかに関わらず、他者の視点を理解する姿勢があることを示せる。これこそが発言を言い換える真の価値である。人は、相手が自分の視点を理解しようと努力してくれたと分かると、相手の視点にもはるかに受容的になるものだからである。
ビジネスの世界でプロフェッショナルとして仕事をする以上、アイデアを提案することは不可欠であり、そのアイデアが却下されることも少なくない。自分が他者のアイデアを却下する立場になることもあれば、自分のアイデアが退けられることもある。そうした瞬間に、自分の提案が退けられたとしてもなお、自分が正しいかどうかを見極めなければならない。もし自分が正しく、相手が誤っており、その誤りが事業に重大かつ回避可能なリスクをもたらす恐れがあると確信できるなら、相手に自分の視点を理解してもらうよう働きかける義務がある。
ビジネスにおいて誰もがいつかは直面するように、誰かに自分のアイデアを真っ向から否定されたとき、防御的になるのではなく、探求的な姿勢で応じるべきである。効果があると分かっているコスト削減案を提案し、相手に却下された場合、相手の異議を自分の言葉で言い換えて、「理解している」というサインを送るのである。相手が自社のサプライチェーンの極めて複雑な実態や、サプライヤーとの契約構造、そしてそれらの契約を変更することがいかに不可能であるかについて長々と説明してきたとしても、相手の論理を即座に攻撃してはならない。そうではなく、次のように伝えるのだ。「私が理解した内容をお伝えしますので、誤りがあればご指摘ください。当社は現在、主要な海外サプライヤーと5年契約を結んでおり、再交渉が可能になるまであと3年あるため、私が提案しているコスト削減策を実施することはできない、ということですね。この理解で相違ないでしょうか?」。
たとえ最終的に自らのアイデアが実行不可能であると認めざるを得なくなったとしても、相手の懸念を的確に言い換えて合意を得ていれば、相手の話を真摯に聞いたという事実だけで敬意を勝ち取ることができる。そして人は、自分が話を聞いてもらうために努力してくれた相手に対しては、将来、格段に進んで耳を傾けるようになるのである。