オープンネス

1.1.3初級7分で読了

オープンネスとは、信頼していない相手から好ましくないことを言われたとしても、その発言が正しいかどうかを公平に検討する思考姿勢である。

信頼している相手から心地よい意見を聞かされると、人はその発言を無条件に受け入れがちになる。これは情報バブルにおいて頻繁に見られる現象であり、自分に同意する人間ばかりを周囲に集めることで生じる。その結果、すでに誰もが賛同している意見しか議論されないエコーチェンバー現象が生み出される。

初対面の相手のように信頼関係が築けていない人物から意に沿わない意見を告げられると、人は往々にして「その相手が間違っているに違いない」と結論づけてしまう。

たとえば新しく入社した同僚は、初日にはまだあなたの信頼を得る機会がない。最初のミーティングでその同僚が「調査によれば消費者はもはや自社製品に関心を持っていない」と発言した場合、腹を立て、相手が間違っていると決めつけてしまう可能性は非常に高い。

閉鎖的な思考を持つ人間は、信頼していない情報源から不都合な事実を突きつけられると、その事実を指摘した人物そのものを攻撃する傾向がある。一方、オープンマインドな人間は、まずその事実の情報源を理解しようとする。オープンマインドな人間であれば、その新入社員に「その情報の情報源は何ですか?」と問いかけるだろう。その情報源に信頼性があるなら、分析されるべきである。分析の結果、情報源の正しさが証明されたなら、事実として受け入れなければならない。これこそが、本質における科学的研究のプロセスである。

「科学」という言葉は多種多様な意味に混同されがちだが、その本質において科学とは方法論である。多くの場合、「科学」と呼ぶよりも「科学的研究」と呼ぶほうが正確である。さらに、科学者は何世紀にもわたり発見を重ね、現在も日々新たな発見を続けていることから、「最新の科学的研究」と表現するほうが一層的確である。そして科学者にとっても理解が難しくなるのは、「科学」を完全に厳密な表現である「現在信頼できる科学的研究」へと敷衍したときである。これは、すべての科学的研究が信頼に値するわけではないことを的確に示している。

信頼性の課題に対処するため、画期的な発見をしたと考える科学者は、信頼できる学術誌に論文を投稿しなければならない。そこでは掲載可否が判断される前に、専門分野の専門家によって批判的な分析と綿密な精査が行われる。このプロセスにより、最高峰の学術誌に掲載されるほど十分な信頼性がないとして却下される研究も多く、科学者たちは何としても掲載を勝ち取ろうと、より信憑性の低い学術誌への再投稿を余儀なくされる。このようにして科学界は自浄作用を働かせ、信頼性に欠ける粗悪な研究が一般に受け入れられた事実として定着するのを防いでいるのである。

科学者のように思考するには、オープンマインドでなければならない。科学者は自らの理論を構築した後に、その理論を裏付ける事実のみを追求することはできない。自説を成立させるために都合の良いデータだけを「つまみ食い(チェリーピッキング)」することは許されず、それを行えばその研究の信頼性は認められない。

現代の企業は例外なく、市場環境、消費者行動、顧客の嗜好、競合環境、財務予測、売上予測、経済指標、その他事業運営に重要と判断されるあらゆるデータを生成、消費、分析している。適切な意思決定を下すためには、これらすべてのデータを正しく解釈・分析する必要があり、適切な分析を行うには、自分にとって不都合なデータに対しても心を開いていなければならない。このように、現代のプロフェッショナルの役割は科学者と非常によく似ており、データから導き出された結論を受け入れ、それをビジネス上の事実として認識しなければならないのである。

かつては、企業が直感に頼り、勘を信じ、データや厳然たる事実を無視しても生き残れる時代があった。それは情報革命以前、グローバル競争以前、そして消費者の支出先の選択肢が極めて限られていた時代の話である。その時代はとうの昔に過ぎ去った。今日の成功する企業は、冷徹で客観的な事実を直視し、好むと好まざるとにかかわらず、事実が語る内容に対してオープンでなければならない。

単体で見れば、これは理にかなっているはずだ。経理部門から収益が減少していると報告された場合、それは対処すべき事実である。しかし、この同じ事実を、誰も信頼しておらず、場合によっては嫌悪されている経理担当者が発表したとすれば、誰も信じない可能性が高い。あまりにも頻繁に、人の資質や資格に関係なく、私たちは不都合なことを言ってくる相手に対して「信用できる人物」であることを求め、そうでなければ信じようとしない。

オープンマインドなプロフェッショナルは、事実を提示する人物そのものにとらわれず、その事実の根拠となっているデータの出所に焦点を当てなければならない。「あの人を信頼しているから、言っていることも信じる」ではなく、「彼らが参照したのと同じ情報源を独自に検証したから、言っていることが正しいとわかる」と言うべきである。言い換えれば、データを提示する人物が誰であるかは、聞き手によるデータの分析や解釈にいかなる影響も与えるべきではないのだ。

事実を提示する人物と事実そのものを切り離す訓練を積んだとしても、次はその事実を受け入れることに対する自身のバイアスを克服しなければならず、これは言うほど容易ではない。好意を寄せ信頼している人物から、速度によって時計の進み方が変わること、夜空の星の中にはすでに存在しないものがあること、冥王星が惑星ではないこと、ビルマの現在の呼称がミャンマーであること、あるいはティラノサウルスには羽毛があったことなどを聞かされたとしても、それを信じるのは極めて困難な場合がある。

地球上で最も優秀な知性たちによって繰り返し証明されてきた事実ですら信じるのに苦労するのであれば、同僚から聞きたくもない事実を告げられたときに、どうして信じられるだろうか。結局のところ、それは自らの信念に対する異議申し立てに対してどれほどオープンでいられるか、既知だと思っている知識をどれほど進んで更新できるか、そして自分はすべてを知り得るわけではないと受け入れる謙虚さをどれだけ持てるかにかかっている。

オープンマインドなプロフェッショナルの責務は、人の意見に耳を傾け、その情報源を検証し、独自の分析を行い、相手の主張が真実であるかどうかを判断することである。もし相手の主張が真実であると判断したなら、自らの考えを変えることができ、変えるべきであり、変えなければならない。ビジネスの世界は、事実としての現実を拒絶し、勘や好意を抱く人物の意見だけに頼る人間に対して容赦がないからだ。これは身を滅ぼす元凶であり、オープンマインドを保つことさえできれば、完全に回避可能な過ちなのだ。

2件のガイドに収録