視点(パースペクティブ)
個人の視点(パースペクティブ)とは、その人固有の経験、意見、信念に主に基づいて構築された、状況に対する主観的な解釈です。したがって、他者の視点を軽視、不信、あるいは無視することは、その人の経験、意見、信念には価値がないと事実上宣告していることに等しいのです。
人生の経験は人それぞれ異なります。学問に苦心した人もいれば容易だった人もいます。適職を見つけるまでにいくつもの職業を試さざるを得なかった人もいれば、幼少期から目指す道が定まっていた人もいます。目標を応援してくれる安定的で愛情深い家庭環境で育った人もいれば、そうではなかった人もいます。これらは、個人の意見を形成し、その信念を確固たるものにする多様な経験のほんの一例に過ぎません。
一般論として、誰もが自身の意見を持つ権利を有しています。しかし、「意見を持つのは個人の自由だ」という表現は、意見が対立した際に無礼な拒絶の言葉として使われがちです。しかし現実として、自由社会においては誰もが自身の意見を持つ権利を持っています。誰もが自由に意見を形成し、望む限りその意見を保持することができます。特定の意見が抑圧されたり禁止されたりする社会は、もはや自由社会とは呼べません。
この事実は、現代、とりわけソーシャルメディアのコメント欄で議論が交わされる際に大きな課題をもたらします。自由社会において誰もが意見を持つ権利があるとするならば、その意見が誤っていたり、分断を招いたり、破壊的であったりする場合はどうすべきでしょうか。あるいは、その意見が極めて誤っており、危険を孕むものである場合はどう対応すべきでしょうか。
見ず知らずの他者と二人で海上の救命ボートに取り残された状況を想像してください。相手は「海水を飲めば喉の渇きによる死を免れる」と信じています。一方であなた自身は、「海水を飲めば喉の渇きによって命を落とすことになる」と考えています。相手の視点では、海水は水を含んでいるため、水を欲している極限状態において命を救うものに見えています。対してあなたの視点では、海水に含まれる塩分が過度の脱水を引き起こし、死に至らしめるものに見えています。相手の命を救うことが目的であるならば、「海水は飲んでも安全だ」という認識を、「海水は危険であり、命に関わる」という認識へと改めさせる説得が必要になります。
そこで「その海水を飲んだら死にますよ」と告げたとします。相手は海水を一すくい口にし、「ほら、死なないじゃないか」と返すかもしれません。アプローチを変えて「海水を飲んだら死ぬことくらい誰でも知っています」と言えば、「誰もが間違っている。現に私は今海水を飲んだが、何ともない」と反論されるでしょう。さらに「塩分が体内の細胞に浸透圧反応を引き起こし、細胞から水分を奪います。腎臓が塩分を体外に排出しようと機能することで脱水がさらに加速し、何も飲まない場合よりも早く命を落とすことになります」と科学的根拠を説明したとしても、相手は「どうせ死ぬなら、喉が渇いたまま死ぬよりましだ」と答えるかもしれません。
これが、異なる視点を持つ相手との対話において生じる、もどかしく困難なジレンマです。相手にとっては自身の視点こそが正しく、間違っているのはあなたの方なのです。
より優れたアプローチは、相手の立場に立ち、その視点を深く理解することです。実際、海水は主に水で構成されており、喉の渇きで瀕死の状態にあるとき、必要不可欠なのは水そのものです。さらに、海水は即座に人を死に至らしめるわけではありません。そうであるならば、何も飲まないことと比べて、海水を飲むことはそれほど無謀な賭けに見えるでしょうか。ましてや、過剰な血中塩分濃度の影響や腎機能のメカニズム、海水を飲むことの不可避な結末を客観的かつ信頼性をもって説明できる医師や科学者が同乗していない以上、相手にとっては単なるあなた個人の主張に過ぎません。要するに、相手の視点から見れば、間違っているのはあなたであり、命を救おうとする行為をあなたが妨害しているように映るのです。
相手の視点から物事を捉えることができて初めて、自分が何に直面しているのかを正確に把握し、相手の意見を変えるための働きかけにより的を絞ることができます。取るべき戦略は、相手の意見の誤りを証明するために正面衝突を仕掛けることではなく、ただ「海水を飲まないように説得する」ことだけに焦点を当てるべきです。
誤りを指摘する代わりに、次のように伝えることができます。「喉が渇いているのは本当によく分かります。私自身も喉が渇いて仕方がありません。もしここが真水の湖であれば、私もできる限り水を飲んでいるはずです。私が海水を口にしない唯一の理由は、海水を飲むと何も口にしない場合よりも早く命を落とすことになると確信しているからです」。
ここで重要なのは、相手の視点を不当だと決めつけたり、その意見を否定したりする言動を一切取っていないという点です。これにより、相手は意見を改める余地を保つことができます。
運が良ければ、相手は「なぜ海水を飲むと死ぬと思うのか」と尋ねてくるかもしれません。そのとき初めて、こう伝えることができます。「以前、海で遭難した方の体験談を見たことがあります。その時、海水を口にした同行者たちは亡くなりましたが、その方は海水を飲まなかったために助かりました。その際の説明によれば、海水を飲むと腎臓が塩分を排出しようとするため、海水を一切飲まなかった場合よりも多くの体内水分を失ってしまうそうです」。
これによって海水を飲むことを思いとどまらせられるのが理想ですが、仮に受け入れられなかったとしても、取るべき最善の行動は、相手の意見や信念が間違っていると断じることではなく、相手の視点に立ち続けながら対話を継続することです。
一般に、相手の意見を否定し、その信念を無効化しようとするアプローチは、相手を説得する助けにはならず、対立する意見に心を開かせることもできません。求められるのは、相手と同じように物事を捉え、相手の世界観の枠組みの中で考えを変える道筋を見出すことです。このアプローチこそが説得の本質であり、説得力はコミュニケーションにおける最も価値ある技術の一つなのです。